金沢モグモグおみやげ日記
三連休に金沢に行ってきました。知性の高い旅行記を書くことはできないものの、おいしいものを食べた話だけは刻み付けておきたい。
あんぱんのようなまんじゅうのようなzawapan
駅に売っていた。
ピクルスと野菜ディップ
街を散策していたら見つけた保存食料品店が過剰におしゃれかつ面白くて、色々買ってしまった。ピクルスと胡麻と麹のディップおいしかった。自分でディップ作る時にマネしてみよう…。
ネットショップもやっているようですぞ。
甘納豆
甘納豆専門店でイートインコーナーを不定期にやっていて、行った日にたまたま空いていてクリームぜんざいを食べた。違法ななにかが入っていることを疑うレベルにおいしかった。
甘納豆は250~500円で少量買えるので、受け取る方も食べ切れないということが起こりにくそうでお土産にしやすいのいいですね。
近年の甘納豆はしっとりしている種族が存在することを知らなかった…。
ケーキ
しいのき迎賓館1Fのカジュアルフレンチのデザート。
有名パティシエ辻口氏は石川県出身らしく、県立美術館に氏が監修する金沢食材推しスイーツが並んだカフェがあるのですが死ぬほど混んでいて入れなかった…のですが、ここのケーキが超おいしかったのでこの旅に悔いなし…。
ふ
おでんの具にふがあって珍しく感じてモグモグ。ふは好きなので近所のコンビニのおでんにも導入してくれないかなー。
ラーメン
野菜が油通ししてあるためか、シャキシャキ感と甘みがあっておいしかった。
金箔ソフト
なんで買ったのか。
貧困と学ぶことのモヤモヤ日記
三連休に金沢に来ました。移動中にインドのカースト制度に関する本を読んで、日本でも貧困による教育の格差が近年問題視されていますが、みんなが学べる環境があればいいのになぁという愚痴です。
インドのカースト制度における不可触民に関する本を読んだのですが、その中で多くの不可触民の家庭は貧しいので子供全員に学ばせることは難しく、将来稼ぎ頭になってしまうために一人に比重を置いて学ばせるという話がありました。
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別の話で、難関国立大学で学んだ女性が専業主婦になったエピソードがインターネットで議論を呼んでいたのを思い出したりしてなかなか考えさせられました。
学ぶことと経済の話は考える切り口が多くて、モヤモヤしがちです。
インドの話でいうと識字率を高めた方が貧困に立ち向かう術を手に入れるチャンスが増えるが、実際には食うにも困っていて字を覚えさせることすら難しいし、きょうだいの教育は平等にはできない。
専業主婦になった女性の話でいうと、国立大学で学ぶコスト(税金を使った教育)をかけながら学ぶ事をやめるって、他の学びたかった人にチャンスを譲れよみたいな話があったり。
学んだことを世の中の役に立てたり、富を増やすことに貢献するかはギャンブルではないかと思います。
でも、不可触民でも次男でも女性でも、実は天才で世の中の問題を解決する発明をしたり、人の心を癒すようななにかを成し遂げるかもしれないので、誰もが学べる環境があったほうが人間全体が進化できるチャンスを得るはずです。
高度な学問まで至らなくても、身の回りの人を助けるような知識を身につけることって世の中のためになりますし。おすすめの日本文学を知っているとか、縄文土器めっちゃ詳しくて子供に案内できるとか。
なにより、何かを知って新しいことができるようになるのは楽しいことなので、誰もが学べる世界であってほしいなぁとしみじみしました…。人間が滅びるまでにそういった世界ができるれば少しは世の中はマシにならないかな…。
インターネットと学び
昔はインターネットがあれば貧しい環境の人も知識を吸収することができると信じていて、そういった未来にわくわくしていました。でも図書館使い放題でもべつにみんなが読むわけではないですし、インターネットも同じですね。地理的条件は乗り越えられる可能性はありますが。
こんなに情報がたくさんあっても人間は見たい情報しか見ないし、知識は偏っていくいっぽうなのでインターネットはそこまでみんなを賢くしなかったかもしれないです。
でも、学び方を知らないだけでポテンシャルがある人はたくさんいて、全ての知識が無駄なわけではないと信じたい…。
スポーツジムと意思の強さとデブの日記
まだスポーツジムに通っています。根性のなさとメンタルの弱さは桃レベルを自負していますが、意外と続いている。スタンディングオベーションして頂いてもいいくらいの快挙といえます。
猫背がちょい改善された気がするのと、4階くらいまでは階段で登るのがつらくなくなったのと、ウエストのくびれ度合いとしては生きてきた中で一番いい感じになってきた気がしています。やった〜。
ファースト離婚で食事できなくなって短期間で12kg痩せた時が自分の最低体重だったのですが、急激に痩せて体力なくなって長いこと具合悪かったので極端な食事制限ダメ絶対、と痛感しました。
痩せ時代に悟ったこととして、女性は痩せたからといってイコール美しい訳ではないな、と…。心技体というか、健康な体と心といい感じの体力が大事。(あと、そもそも自分は一般ピーポーな顔なため、痩せても太っても一般ピーポーだったという残酷な真実が明らかになった)
運動して体力がつく上に体型がひきしまるのって、一挙両得感あってすごい。なぜ今まで気がつかなかったのか。
デブの話
食べる量を減らせば痩せるのになぜデブは摂取カロリー量を減らさないのか、という正論は現実問題として難しいなぁと考えています。
近年の研究によって、飲食などの快感を得られる行為で、人より快楽を得る量が少ないがために大量に摂取する必要がある体質の持ち主がいるという話を『快感回路』で読んで納得感あるなと思いました。
快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか (河出文庫)
- 作者: デイヴィッド・J・リンデン,岩坂彰
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意思が強ければ肥満にならないかというと、そんな事ないような気はしていた。意思が強ければアルコール依存症や薬物依存性にならないかというと、必ずしもそうではないので。
心の強さと体質の話
運動やデブの話から逸れるのですが、子供の頃から絵を描いたりなにかを作ることに夢中になると、そのことばかり取り組み続けて他のことに一切関心がなくなる癖が自分にはあります。
大人になってそういう何かに夢中になる性質がマッチする職についたためにそこまで困っていませんが、そうでなかったら社会人としてやっていけていたか自信ない。
夢中になる性質は人に羨ましがられることもありますが、夢中になりすぎてその行為ができなくなった時に怒ったり、寝食を忘れて生活できなくなるヤバさもあるので一長一短ではないかと思います。
気をつけようと思っていてもいつのまにか夢中になっているので、意思の力でどうにかできる気がしないために依存症の人もこんな感じかなぁと想像しています。
食べても太らないとか、運動しても筋肉がつきにくいとか、人と喋るのが得意とか、お酒がたくさん飲めるとか、体質の差はおもしろいけどコワイ。
Webメディアびっくりセール行ってきた日記
WebメディアびっくりセールというデイリーポータルZを中心としたWebメディアが同人誌即売会みたいなイベントを開催したため遊びに行ってきました。
ネットで無料で読めるコンテンツを発信する人々の、同人誌をわざわざ求めに行くという珍イベントでしたが盛況でした。
イベントでは何冊か薄い本をゲットしてホクホク。モザイクがかかっているのは卑猥なわけではないです。
おもしろコンテンツを愛している人々がまとめた薄い本は、こういうテーマで一冊にまとめたらおもしろいよな〜ってこだわりが感じられてよいです。
本は物理的に終わりのあるコンテンツなので、Webとは違ったまとめかたになって普段読んでいる形とは別のおもしろさがあります。
思えばWebメディアってもともと同人的というか、エンターテイナーかつネット好きの民がおもしろいことしてやろうぜ!ってノリで盛り上げてきた感がある気がするので同人誌即売会的なイベントってしっくり来るなぁと思ったり。
最近は著名なライターがWebでコンテンツを連載することもぜんぜん珍しくなくなって、洗練された雑誌的なメディアも増えてきました。
Webが一部の人だけのメディアだった時代はわりと昔に終わったなと感じています。
テレビとかと同じで、特別に環境を用意しないでも意識せずにふれるものになったというか。
Webが一般的になって個人ホームページや個人ブログが廃れたりしましたが、見る人を面白がらせてやりたい!という突然発生系の作るの好きな人々は完全には絶滅しないと思っています。
洗練されたメディアが悪だとは思っていないですが、セオリーに縛られずにおもしろいことやってやろうぜ!という野生のWebコンテンツ作り人を応援したいし、自分もおもしろいことしたいな〜と思いを新たにする良いイベントでした。
この編みワッペンのマーク、知ってる?
サイコパスとKYの日記
幼い頃から気が利かなくて、目の前の人がこういう事言うと喜ぶだろうなーという察することができず35年わりと悩み続けています。
サイコパスと呼ばれる性質を持つ人々は他者への共感の薄さによってむちゃくちゃな事ができるという話を読んで、これは自分みたいな人間のことか?と気になってサイコパスや自己愛に関する本を読みました。
サイコパスと呼ばれる人は他者への共感は低いものの、「目の前の人に対してこう言うと利用できる」と他人をコントロールするのがうまい傾向がある、みたいな話を読むうちに、そんなことできたら私こんなに悩んでないな…という結論に至りました。
他人の気持ちの推察が弱いのは私の長年の悩みで、そのため日々「こういう状況の人はこういう気持ちか…?」などと考えているものの、私の考えるこの人たちの気持ち!にしかならない。
他人の表情を読んで、適切なタイミングで共感し、適切なタイミングで質問し、いい流れを作る事ができるひとってすごい。どんな形で世界を見ているのか知りたいです。
言わないでもわかるでしょ?というスタイルの高度なコミュニケーションは生きている中でわりと困っていて、和を乱すことを避けるためにほとんどの人は他者の誤りや不適切な部分を指摘しません。なので、こいつ場の空気読めてないな〜という時に、コミュニティの性質によってはフンワリ距離を取られるんですよね。
社会性ないのやばいなと自分で思っていましたが、社会人になってから関わった同僚や上司はわりと不適切な部分を指摘してくれたので、ありがたかったです。そこまで面倒見てもメリットないはずなのに、ちゃんと教えてくれたのどんだけいい人たちだ。全部直せなくても、教えてもらえたら少しは気をつける努力はできなくもないので。
社会性がないからといって、身の回りの人を困らせたいわけではないのです…。
面倒見のいい人々に恵まれなかったら、場の空気を乱して人から煙たがられて、理由がよくわからずに世の中の人は自分のことを嫌いだし、自分もみんなのことを嫌い!憎い!みたいな気持ちで生きていくことになったかもしれない。
多様な価値観とフレンズの話
サイコパスと微妙に違う話になるのですが、自己愛に関する本に「現代の人は、他人を批判したいけれど批判はされたくないのでネットで匿名」という分析が書いてあって、それこそサイコパスみたいな人から身を守るために匿名であることが前提だとは思いますが、少しは批判を避ける部分もあるかもなと納得。
他人を批判したがるとは書いたものの、ある程度の知性と常識を持った人ならばトラブルを避けるために極端な主義主張は避けて、かわいいアニマルかおいしいご飯の写真しかネットで投稿しない気がします。わざわざ自分の考えを書く人間は少数派でめんどくさいやつではないかなと。
ただ、そもそもなぜ他人を批判しなければいけないのか?と考えている時に、下記の主張を読んでなかなか興味深かったです。
【ゆとり世代】現代の若者はなぜ孤立を好むのか。価値観とモノがあふれる世界がもたらしたもの | COCORO NEXT
多様な生き方が存在すると、他者の思想に触れた時に自分の生き方を否定されているかもと感じることがあります。毎日働くのなんて愚の骨頂、人にお金を借りて遊んで暮らしたいという姿勢の人に対して、私ならめちゃくちゃムカつきます。別に私に対して言っていないとわかっていても、仕事好きな生き方を否定された気持ちになるのかもしれないなぁと。
多様な生き方を認めたいと思いつつ、ニュートラルに考えることは難しいです。狭い視点でしかものを見ることができない所に、自分の想像力や賢さの限界を感じます。むずかしーわねー!
劣等感で他人を責めるダサさの日記
先日ネットの海をさまよっていたら労働組合の人にインタビューをした記事を見つけて、カルト的な組織の企業について説明している内容で興味深く読みました。
あきらかに間違っていることを経営者が行っても、それを止めることができずに一部の社員はゲシュタポ化して保身に走る的な話。集団心理としてあるあるです。
そういった組織で正気を保った人はついていけなくて即やめると思うので、生存バイアスで偏った姿勢の組織になっていってしまう感じですね。
その中で心に刺さる話があって、ゲシュタポ化する人は劣等感によって他人を攻撃しているという説明でした。うわー思い当たるよー。つらいよー。
劣等感によって他人を責めることで自分を正当化してしまうことがあって、まさに自分がやってしまうことだと思います。
「なんでこんな当たり前のこともできないの?私でもできるよ?」というものの言い方をするは時は、自信がない自分よりもひとが格下であることを見つけて、いじめることに快感を感じているのだと思う。
これって、自分がふだん他人より劣っていると感じがちなために珍しく自分よりも下の人を見つけて浮かれているんですよね。圧倒的なダサさ。
自分にできることは他人にできるとは限らないし、逆もみんなができることを自分ができないこと沢山あります。そういうのを棚にあげて他人を攻撃するのはダサいよなぁと思うのに、やっちゃう所が己の器の小ささです。
仕事だけでコンプレックスを補って自尊心を保つ生き方をしていると、自分がなにかの事情で働けなくなった時に、世の中から自尊心を貶められた気持ちになってキレやすくなる気がします。そういった意味でもバランスよくなりたい。なりたいけどな〜〜!!!!器でかくなりてーなー!
インターネットと人間関係の日記
かわいい猫ちゃんの写真でテーマのトゲトゲしさを中和するよ。
インターネットにおいて人間はなぜ過剰にイライラしがちなのか…ということについて最近いろいろ考えていました。
結論としては、インターネットしすぎると疲れるからほどほどにしたほうがよい、ということです。
みんな知ってた!みたいな話で今更の発見なのですが。
いいねに関する問題
SNSのいいねに感して、見たくないという人が一定数いるのを感じています。私ほどのインターネットと脳が直結している廃人だと気にしたことがなくて「?」みたいな気持ちがあったのですが、一昨日くらいにやっとわかってきた!気がする!
1.自分がいいねを貰えないにも関わらず他の人が貰っていると寂しくなる
2.友達がだれかにいいねをしていると、自分にはしてくれないのに〜って思う(嫌われてるかも?みたいな)
3.友達がいいねしている発言が自分の思想と合わない時にイライラする
の3つが大きいかもしれないな、と。
これは盲点だったな〜と思いました。自分に友達が少なすぎてこういった感情がわからなかった気がします。
ネット廃人としてツイッターランドにも生息していますが、フォロワーの70%はbotな気がするし、残りの27%にはミュートされている可能性が高いインターネットひきこもり的には、いいねが貰えないことなど当然だから…かな…。つら…い…。
他人の幸せを見たくないよ問題
個人的には知っている人が辛そうにしていると心が死ぬので、むしろ幸せな話をしてくれた方が嬉しいです。
幸せ見たくないよ問題にはいくつか人によってイライラポイントがあって
- 自分が手に入れられないものにイラリ
- 自分が責められている気がしてイラリ
- 自分の方が頑張ってると思うのでイラリ
- 無条件でみんな憎い
みたいな感じかもしれないな〜と。
1については自分ができないこと沢山あって、欲しいものが手に入らない時に努力してもどうしようがない事もあるので、他人が自分にないものを持っているのは当たり前だと私自身は考えています。
レアメタルの湧いている資産価値の高い土地と、オリンピック陸上競技で金メダル獲れる肉体と、ノーベル賞を受賞できる頭脳が欲しいですが…。
前々からレアメタルの湧く資産価値の高い土地が欲しいと思っていたんですが、そもそも日本においてそういう私有地って国のものとして渡さなければならなかったりするんだろうか。謎です。
幸せ見るの辛い派はインターネットで幸せな投稿をしている人は、全て偽りか他人を嫌な気持ちにしたいサイコパスであると考えて眺めると楽になる気がします。
そもそもネットでの日常生活の記録って、幸せなシーンを切り取って流しているだけなので実際はつらいこともゼロではないと思う。
料理好きって言うと料理苦手だよ派にイライラされることありますが、私がまったく整理整頓ができず部屋にコートの墓場を作って家族に叱られていることなど知るまいよ!
ミュートしよう
正気を保っている人にとって、フォローを外したりミュートは大事かなと思います。
友人と会った時に自分の話すスキを一切与えられずに愚痴を聞くだけで12時間拘束されたら、内容によっては「もういいだろ!お前の話は!」とキレます。キレずにおられようか。
ネットなら別に全部読んでいる前提ではないから、ほどほどにできるじゃないですか。
まとめ
以前勤めた職場でものすごく情報共有がうまくいかなかった時に、上司が「俺たちにインターネットは早すぎたんだ」という名言を発して記憶に残っています。
その時の仕事は人員不足なことが問題だったと思うので、そこ?!という気持ちを抱いたものの、インターネット戦国時代に終わりが見えないいま、彼の名言が思い出されます。
私くらいのネットと脳が繋がっているような廃人だと、インターネットにこそ真実が…!とか考えてしまいますが、みんなそこまで熱心にネットしてないし、偏ったユーザーが頑張ってるだけだから話半分で聞いて猫の写真を熱心に収集したらいいと思います。
インターネットに溢れる情報が、みんな人が書いているとは限らないですしね。私が人間で、かつ自分でこのブログを書いているという証明も難しいのではないでしょうか。