人生日々すれ違い通信 season2

元バツイチが日々思う事を書いたりハンドメイドしたり買い物で散財したりするよ。

金沢モグモグおみやげ日記

三連休に金沢に行ってきました。知性の高い旅行記を書くことはできないものの、おいしいものを食べた話だけは刻み付けておきたい。

あんぱんのようなまんじゅうのようなzawapan

定番のお菓子|ギフト・お祝いのお菓子は和菓子処 中越

駅に売っていた。

ピクルスと野菜ディップ

石川県金沢市の保存食専門店ストック/STOOCK

街を散策していたら見つけた保存食料品店が過剰におしゃれかつ面白くて、色々買ってしまった。ピクルスと胡麻と麹のディップおいしかった。自分でディップ作る時にマネしてみよう…。

ネットショップもやっているようですぞ。

甘納豆

甘納豆専門店でイートインコーナーを不定期にやっていて、行った日にたまたま空いていてクリームぜんざいを食べた。違法ななにかが入っていることを疑うレベルにおいしかった。

●トップページ● of 甘納豆かわむら

甘納豆は250~500円で少量買えるので、受け取る方も食べ切れないということが起こりにくそうでお土産にしやすいのいいですね。
近年の甘納豆はしっとりしている種族が存在することを知らなかった…。

ケーキ

しいのき迎賓館1Fのカジュアルフレンチのデザート。

有名パティシエ辻口氏は石川県出身らしく、県立美術館に氏が監修する金沢食材推しスイーツが並んだカフェがあるのですが死ぬほど混んでいて入れなかった…のですが、ここのケーキが超おいしかったのでこの旅に悔いなし…。

おでんの具にふがあって珍しく感じてモグモグ。ふは好きなので近所のコンビニのおでんにも導入してくれないかなー。

ラーメン

野菜が油通ししてあるためか、シャキシャキ感と甘みがあっておいしかった。

金箔ソフト

なんで買ったのか。

貧困と学ぶことのモヤモヤ日記

三連休に金沢に来ました。移動中にインドのカースト制度に関する本を読んで、日本でも貧困による教育の格差が近年問題視されていますが、みんなが学べる環境があればいいのになぁという愚痴です。

インドのカースト制度における不可触民に関する本を読んだのですが、その中で多くの不可触民の家庭は貧しいので子供全員に学ばせることは難しく、将来稼ぎ頭になってしまうために一人に比重を置いて学ばせるという話がありました。

別の話で、難関国立大学で学んだ女性が専業主婦になったエピソードがインターネットで議論を呼んでいたのを思い出したりしてなかなか考えさせられました。

学ぶことと経済の話は考える切り口が多くて、モヤモヤしがちです。

インドの話でいうと識字率を高めた方が貧困に立ち向かう術を手に入れるチャンスが増えるが、実際には食うにも困っていて字を覚えさせることすら難しいし、きょうだいの教育は平等にはできない。

専業主婦になった女性の話でいうと、国立大学で学ぶコスト(税金を使った教育)をかけながら学ぶ事をやめるって、他の学びたかった人にチャンスを譲れよみたいな話があったり。

学んだことを世の中の役に立てたり、富を増やすことに貢献するかはギャンブルではないかと思います。

でも、不可触民でも次男でも女性でも、実は天才で世の中の問題を解決する発明をしたり、人の心を癒すようななにかを成し遂げるかもしれないので、誰もが学べる環境があったほうが人間全体が進化できるチャンスを得るはずです。

高度な学問まで至らなくても、身の回りの人を助けるような知識を身につけることって世の中のためになりますし。おすすめの日本文学を知っているとか、縄文土器めっちゃ詳しくて子供に案内できるとか。

なにより、何かを知って新しいことができるようになるのは楽しいことなので、誰もが学べる世界であってほしいなぁとしみじみしました…。人間が滅びるまでにそういった世界ができるれば少しは世の中はマシにならないかな…。

インターネットと学び

昔はインターネットがあれば貧しい環境の人も知識を吸収することができると信じていて、そういった未来にわくわくしていました。でも図書館使い放題でもべつにみんなが読むわけではないですし、インターネットも同じですね。地理的条件は乗り越えられる可能性はありますが。

こんなに情報がたくさんあっても人間は見たい情報しか見ないし、知識は偏っていくいっぽうなのでインターネットはそこまでみんなを賢くしなかったかもしれないです。

でも、学び方を知らないだけでポテンシャルがある人はたくさんいて、全ての知識が無駄なわけではないと信じたい…。

スポーツジムと意思の強さとデブの日記

まだスポーツジムに通っています。根性のなさとメンタルの弱さは桃レベルを自負していますが、意外と続いている。スタンディングオベーションして頂いてもいいくらいの快挙といえます。

猫背がちょい改善された気がするのと、4階くらいまでは階段で登るのがつらくなくなったのと、ウエストのくびれ度合いとしては生きてきた中で一番いい感じになってきた気がしています。やった〜。

ファースト離婚で食事できなくなって短期間で12kg痩せた時が自分の最低体重だったのですが、急激に痩せて体力なくなって長いこと具合悪かったので極端な食事制限ダメ絶対、と痛感しました。

痩せ時代に悟ったこととして、女性は痩せたからといってイコール美しい訳ではないな、と…。心技体というか、健康な体と心といい感じの体力が大事。(あと、そもそも自分は一般ピーポーな顔なため、痩せても太っても一般ピーポーだったという残酷な真実が明らかになった)

運動して体力がつく上に体型がひきしまるのって、一挙両得感あってすごい。なぜ今まで気がつかなかったのか。

デブの話

食べる量を減らせば痩せるのになぜデブは摂取カロリー量を減らさないのか、という正論は現実問題として難しいなぁと考えています。

近年の研究によって、飲食などの快感を得られる行為で、人より快楽を得る量が少ないがために大量に摂取する必要がある体質の持ち主がいるという話を『快感回路』で読んで納得感あるなと思いました。

快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか (河出文庫)

快感回路---なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか (河出文庫)

意思が強ければ肥満にならないかというと、そんな事ないような気はしていた。意思が強ければアルコール依存症や薬物依存性にならないかというと、必ずしもそうではないので。

心の強さと体質の話

運動やデブの話から逸れるのですが、子供の頃から絵を描いたりなにかを作ることに夢中になると、そのことばかり取り組み続けて他のことに一切関心がなくなる癖が自分にはあります。

大人になってそういう何かに夢中になる性質がマッチする職についたためにそこまで困っていませんが、そうでなかったら社会人としてやっていけていたか自信ない。

夢中になる性質は人に羨ましがられることもありますが、夢中になりすぎてその行為ができなくなった時に怒ったり、寝食を忘れて生活できなくなるヤバさもあるので一長一短ではないかと思います。

気をつけようと思っていてもいつのまにか夢中になっているので、意思の力でどうにかできる気がしないために依存症の人もこんな感じかなぁと想像しています。

食べても太らないとか、運動しても筋肉がつきにくいとか、人と喋るのが得意とか、お酒がたくさん飲めるとか、体質の差はおもしろいけどコワイ。

Webメディアびっくりセール行ってきた日記

WebメディアびっくりセールというデイリーポータルZを中心としたWebメディアが同人誌即売会みたいなイベントを開催したため遊びに行ってきました。

ウェブメディアびっくりセール

ネットで無料で読めるコンテンツを発信する人々の、同人誌をわざわざ求めに行くという珍イベントでしたが盛況でした。

イベントでは何冊か薄い本をゲットしてホクホク。モザイクがかかっているのは卑猥なわけではないです。

おもしろコンテンツを愛している人々がまとめた薄い本は、こういうテーマで一冊にまとめたらおもしろいよな〜ってこだわりが感じられてよいです。
本は物理的に終わりのあるコンテンツなので、Webとは違ったまとめかたになって普段読んでいる形とは別のおもしろさがあります。

思えばWebメディアってもともと同人的というか、エンターテイナーかつネット好きの民がおもしろいことしてやろうぜ!ってノリで盛り上げてきた感がある気がするので同人誌即売会的なイベントってしっくり来るなぁと思ったり。

最近は著名なライターがWebでコンテンツを連載することもぜんぜん珍しくなくなって、洗練された雑誌的なメディアも増えてきました。
Webが一部の人だけのメディアだった時代はわりと昔に終わったなと感じています。
テレビとかと同じで、特別に環境を用意しないでも意識せずにふれるものになったというか。

Webが一般的になって個人ホームページや個人ブログが廃れたりしましたが、見る人を面白がらせてやりたい!という突然発生系の作るの好きな人々は完全には絶滅しないと思っています。

洗練されたメディアが悪だとは思っていないですが、セオリーに縛られずにおもしろいことやってやろうぜ!という野生のWebコンテンツ作り人を応援したいし、自分もおもしろいことしたいな〜と思いを新たにする良いイベントでした。

この編みワッペンのマーク、知ってる?

サイコパスとKYの日記

幼い頃から気が利かなくて、目の前の人がこういう事言うと喜ぶだろうなーという察することができず35年わりと悩み続けています。

サイコパスと呼ばれる性質を持つ人々は他者への共感の薄さによってむちゃくちゃな事ができるという話を読んで、これは自分みたいな人間のことか?と気になってサイコパスや自己愛に関する本を読みました。

サイコパスと呼ばれる人は他者への共感は低いものの、「目の前の人に対してこう言うと利用できる」と他人をコントロールするのがうまい傾向がある、みたいな話を読むうちに、そんなことできたら私こんなに悩んでないな…という結論に至りました。

他人の気持ちの推察が弱いのは私の長年の悩みで、そのため日々「こういう状況の人はこういう気持ちか…?」などと考えているものの、私の考えるこの人たちの気持ち!にしかならない。

他人の表情を読んで、適切なタイミングで共感し、適切なタイミングで質問し、いい流れを作る事ができるひとってすごい。どんな形で世界を見ているのか知りたいです。

言わないでもわかるでしょ?というスタイルの高度なコミュニケーションは生きている中でわりと困っていて、和を乱すことを避けるためにほとんどの人は他者の誤りや不適切な部分を指摘しません。なので、こいつ場の空気読めてないな〜という時に、コミュニティの性質によってはフンワリ距離を取られるんですよね。

社会性ないのやばいなと自分で思っていましたが、社会人になってから関わった同僚や上司はわりと不適切な部分を指摘してくれたので、ありがたかったです。そこまで面倒見てもメリットないはずなのに、ちゃんと教えてくれたのどんだけいい人たちだ。全部直せなくても、教えてもらえたら少しは気をつける努力はできなくもないので。

社会性がないからといって、身の回りの人を困らせたいわけではないのです…。

面倒見のいい人々に恵まれなかったら、場の空気を乱して人から煙たがられて、理由がよくわからずに世の中の人は自分のことを嫌いだし、自分もみんなのことを嫌い!憎い!みたいな気持ちで生きていくことになったかもしれない。

多様な価値観とフレンズの話

サイコパスと微妙に違う話になるのですが、自己愛に関する本に「現代の人は、他人を批判したいけれど批判はされたくないのでネットで匿名」という分析が書いてあって、それこそサイコパスみたいな人から身を守るために匿名であることが前提だとは思いますが、少しは批判を避ける部分もあるかもなと納得。

他人を批判したがるとは書いたものの、ある程度の知性と常識を持った人ならばトラブルを避けるために極端な主義主張は避けて、かわいいアニマルかおいしいご飯の写真しかネットで投稿しない気がします。わざわざ自分の考えを書く人間は少数派でめんどくさいやつではないかなと。

ただ、そもそもなぜ他人を批判しなければいけないのか?と考えている時に、下記の主張を読んでなかなか興味深かったです。

【ゆとり世代】現代の若者はなぜ孤立を好むのか。価値観とモノがあふれる世界がもたらしたもの | COCORO NEXT

多様な生き方が存在すると、他者の思想に触れた時に自分の生き方を否定されているかもと感じることがあります。毎日働くのなんて愚の骨頂、人にお金を借りて遊んで暮らしたいという姿勢の人に対して、私ならめちゃくちゃムカつきます。別に私に対して言っていないとわかっていても、仕事好きな生き方を否定された気持ちになるのかもしれないなぁと。

多様な生き方を認めたいと思いつつ、ニュートラルに考えることは難しいです。狭い視点でしかものを見ることができない所に、自分の想像力や賢さの限界を感じます。むずかしーわねー!

劣等感で他人を責めるダサさの日記

先日ネットの海をさまよっていたら労働組合の人にインタビューをした記事を見つけて、カルト的な組織の企業について説明している内容で興味深く読みました。

あきらかに間違っていることを経営者が行っても、それを止めることができずに一部の社員はゲシュタポ化して保身に走る的な話。集団心理としてあるあるです。

そういった組織で正気を保った人はついていけなくて即やめると思うので、生存バイアスで偏った姿勢の組織になっていってしまう感じですね。

その中で心に刺さる話があって、ゲシュタポ化する人は劣等感によって他人を攻撃しているという説明でした。うわー思い当たるよー。つらいよー。

劣等感によって他人を責めることで自分を正当化してしまうことがあって、まさに自分がやってしまうことだと思います。

「なんでこんな当たり前のこともできないの?私でもできるよ?」というものの言い方をするは時は、自信がない自分よりもひとが格下であることを見つけて、いじめることに快感を感じているのだと思う。

これって、自分がふだん他人より劣っていると感じがちなために珍しく自分よりも下の人を見つけて浮かれているんですよね。圧倒的なダサさ。

自分にできることは他人にできるとは限らないし、逆もみんなができることを自分ができないこと沢山あります。そういうのを棚にあげて他人を攻撃するのはダサいよなぁと思うのに、やっちゃう所が己の器の小ささです。

仕事だけでコンプレックスを補って自尊心を保つ生き方をしていると、自分がなにかの事情で働けなくなった時に、世の中から自尊心を貶められた気持ちになってキレやすくなる気がします。そういった意味でもバランスよくなりたい。なりたいけどな〜〜!!!!器でかくなりてーなー!

無能と向き不向きとゴッホの日記

しばらく前に、仕事つらかったら自分とマッチした転職をすると悪くない人生だよ的なアノニマスダイアリーが話題になっていました。

社会人って、案外楽しいんだよっていう話。

無能を自称する当事者から、無能はいくら転職しても無能という反論も書かれたりし、賛否両論盛り上がってフェス感ありました。 私も色々考えさせられたテーマだったので、今更ながらゴソゴソまとめてみます。

環境と資質のマッチ

自分はコミュ障かつ体力もないので、接客や力仕事は難しいため座り仕事しかねぇ!ということで、世の中の片隅でITっぽい仕事をしています。

PCを使った仕事が増えている今だから生きていけていますが、たぶん原始時代や戦国時代などの力こそ全て時代に生まれたら即死んでいた。

ぼーっとしているので、お金を数えて確認するような仕事もめちゃくちゃなミスをして会社を滅ぼす自信があります。PCで仕事ができる時代に生きていて心底よかったです。

時代と自分の資質の組み合わせもありますし、職場との相性もあります。私も戦国時代の合戦場では役立たずでしょうが、わらじ作りをする工房ではうまく働ける可能性もあります。

ひとつの環境で無能と判断されたからといって本当に無能かどうかは微妙といえるのではないでしょうか。

同じジャンルの仕事でも、組織ごとの雰囲気、ポリシーはだいぶ異なって求められる能力が異なる事があります。ある会社で無能と扱われても別の所では神扱いされることもあり得るかと。

まったく喋らずに渡された仕事を機械的に処理してほしい職場と、ざっくり指示で自分で判断&相談を繰り返して仕事を消化していく職場は、評価される能力がそれぞれだいぶ違います。
言われた通りの事をきっちりこなしたい人か?道無き道を開拓したいよ派か?でどちらの環境が評価されやすいか違います。

なので、確かに転職によって仕事しやすさが変わるってありえるかな〜と。

自分の望みと資質のアンマッチ

転職で解決しない例ももちろんあって、自分がやりたい事があまりにも資質がなくて解決されないケースもあります。

私が漫画家になりたくて週刊少年ジャンプ編集部に持ち込みをしても相手にされないので週刊少年マガジン週刊少年サンデーにも持ち込みをして、なおかつガロ、ちゃお等かたっぱしから持ち込みをして相手にされなかったとします。
そこまで相手にされないと、現代においては評価される漫画の能力が私にはない、という結論になります。

もしかしたら現代の漫画編集者には評価することができず、ゴッホみたいに後世に超評価される可能性がわずかにありますが、自分が死んだ後に金になるとか知ったこっちゃないですよね。ゴッホあの世でむかついてないでしょうか?私なら激おこ案件ですよ。いつ評価するの?今でしょ!

自分の資質が時代と合わないがために無能扱いされるのか、それとも社風など状況によって評価が変わる部分で無能扱いされているのか、どちらなのかを本人、あるいは同僚や友達がジャッジするのはすごく難しいです。

転職すると答えがわかる場合もありますが、1回の転職では再度社風が合わない可能性もゼロではなく、何度も転職すると疲弊するのでなかなか難しい。

引き際の見極めの難しさはありますが、ここでこれ以上やってもダメかもなーと思ったら闇落ちする前に転職が吉な気がします。

ゴッホはよく絵を描くのやめなかったよなあ。

いつかできることもある

自分はかつて電車通勤が死ぬほどつらくて、空いていようがいまいが絶対乗りたくないと思っていました。あまりに嫌だったので一時期フリーランスで働いていたくらいです。

なんですが、いつのまにじわじわ通勤電車に乗れるようになっていたので不思議です。

みんな乗れるようになるよ!という話ではなく、いつしかできないことが自然できることになる可能性もあるし、無能と日々絶望せずともどうにかなる事もあるよ!という話でした。

海の見える路線でいつも車内はすきすき、みんな本を読んだり、お弁当食べてのんびり通勤とかならいいのにですね。誰も進んで満員電車に乗りたいとは思えない。