人生日々すれ違い通信 season2

元バツイチが日々思う事を書いたりハンドメイドしたり買い物で散財したりするよ。

世界の見え方と教わることについて日記

年齢の離れた人に、あることがらについて解説するみたいなシーンが近年よくあります。

人になにかを教えるって、そもそも根本的には教えることのできない領域が大きいのでは?と私は考えています。
たぶん私がアインシュタインにいま相対性理論について超ていねいに説明してもらったとしても、開始5分くらいで意識を失う。興味がないこと、理解が及ばないことを教わることはできないというか…。

おとなに何かを教えるって、教えられた人が新しい情報を飲み込めるよう手伝いをすることなのかもな、と近年考えてます。
聴覚&視覚障がい者ヘレン・ケラーがwaterっていう単語を覚えることができたのは先生に教わったからですが、根本的には自分で「あーこれね!waterって名前があるんね!なるほど!」というひらめきが自分のなかに生まれたからだと思うのです。たぶん。

同じ世界が見えているとは限らない

小学校で色覚異常の検査をうけたことがある方いらっしゃると思うのですが、あれは色の見え方が違う人をチェックする検査です。異常っていうか、そもそもその色の見え方が当人にはふつうなので異常とはなにか…という謎。
色覚異常のように映像の認識の違いは「あるある」って感じで納得しやすいですが、映像の認識の違いだけではなく、みんなどこかしら他人と違う世界を見ていると思います。

よく説明していることとして、私は人の顔を覚えるのが得意でないです。
綺麗な人とかイケメンとか、容貌に関する感想を持つこともあるので人の顔を見ていないわけではないと思うのですが、ひとの髪型が変わっていると「本当にAさんかな…」と確信が持てなくなる。
人の顔を覚えるのが得意な人がこの話を聞くと、なんでそんな状況になるんだよって感じらしい。
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私が他人の事を覚えるときは、その人の書いたテキストか、その人の絵やデザインを見るのがいちばん楽です。なるほどねーって覚えやすい。

人の顔を見るのは苦手でも、他の切り口なら他人の事を覚えることができることを考えると、おそらく人によって何かを学ぶ時に「この切り口だとわかるなー!」って部分違うだろうなぁという気がしているのです。
ヘレン・ケラーだと視覚障がいがあるので、手にばしゃばしゃ水をかける物理的アプローチでwaterって教えるしかない!というのと同じかなと。わーらー!

感情面での見える世界の違いもあるよ

「がんばって!」という言葉ひとつを聞いても、『もう死ぬほど頑張っているし…つらい』という人と『応援ありがとー!オラがんばる!』という人がいて、受け取り手によって意味が変わってきます。
育った環境や経験でことばの意味が変わるし、言った人との関係性によっても変わるだろうなと。

あと、今日インターネッツで子育てをする母への批判への批判を読みましたが、それも感情面での見える世界の違いによる混乱かなと思います。
子ども大好きな方は子どもの気持ちにいちばん心を寄せるかもですし、子育てをして大変な思いをされている方は親御さんに共感するかもしれないですし、親に虐待された経験のある方は子ども目線になったりするとか、ものごとをどう理解するか聞き手の経験によってスタンスが変わってくるかなと。
全ての視野を自分の中に持ってものごとを語るのは、至難の技という気がしております。

まとめ

他人の見ている世界を理解することができない!と思うものの、せっかくだから「こういう知識、おもしろいかも?」って聞いた人が感じられるように、相手に合った解説できたらいいですなー。
かつて自分がそういうふうに教わったときに、嬉しかったので。