本日はスポーツジム始めでした。根性ゼロのため即通うのをやめるような気がしていましたが、なんだかんだまだ続いています。運動できなさすぎて長年スポーツジムへの苦手意識がありましたが、人と競い合ったり合わせる系の競技をしない限りはうまく動けなくても罪悪感を抱えることもないので、つらくない。
運動しながらふと、劣等感について思いを馳せました。先日ドラクエ30周年の特別番組がNHKで放送されていて見ていたのですが、途中で元ジャンプ編集長の鳥嶋さんがインタビューを受けている場面があって、インタビュー受ける側にも関わらずインタビュアーに質問をしてたりして、成功者ならではの正々堂々とした自信家の気配〜!とか見ていて思いました。
私自身そうですが、自信がなくて劣等感があるなーという感じの人は話していて漏れてきちゃう気がしているのですが、基本的には誰しも自信のない分野は多かれ少なかれあります。
ただ、その劣等感をねじふせることができている大人はすごいなーと思う。
劣等感って不思議なもので、まわりがそこまで重要視していないことも本人にとっては大事件だったりするんですよね。私は学がないことと、美しい言葉が扱えないことと、コミュ障で協調性がないなどの欠点が恥ずかしいよ〜!と超思っていますが、他人から見たらそこまで大した事ではない気がしています。
よく聞くのが容姿の一重まぶたの劣等感ですが、顔が記憶に残らない私からすると何を言ってるんだこの人はという気分になります。むしろ、一重だったんだ…今気がついた…って動揺する。
あと理解できない劣等感として、母子家庭育ちなことに劣等感を持つ人もいて、私自身も父が早くに亡くなっているよ派ではあるものの、親の夫婦仲や寿命は自分にコントロールできる範疇ではないと考えているので「え?そこ?」と思ったり。
じゃあ劣等感ないのかよ、というとそんなことはないです。金銭や容姿、身体能力や健康状態などの劣等感は「私にはどうしようもねぇな!」と思ってそこまで意識していないのですが、おもしろいことをする才能に関しては心底うらやましいな〜!とよく思う。
歳上・歳下・同じ歳、異性同性に関わらず超すごい人は世の中にあふれていて、うらやましい!ただ、才能ある彼らがなんの努力もしていないわけではないし、劣等感がないわけでも無いと思うので、羨ましがってばかりいないで頑張らなきゃなーとか今も思ったりしています。
自分にできない事を認めて一生勉強せなあかんなーと思うけど、できない自分を認めることができずに生きるのかもなぁ…という気もしてこわい。できない事を認めるのは、恥ずかしいししんどい事なので…。
「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」という山月記の一文は、20年あまり経った今も胸にザクーと刺さるます。今年も色々がんばります…。腹筋を6つに割るチャレンジもがんばります…。
スポーツジム通いで「運動不足体型」を脱してイエーイ!と思っていましたが、自分より体力がないと侮っていた家族が「筋肉質」という体型であると判定されていたので頑張ろう…と思いました。
他人と同じ時間頑張っても同じように結果が得られるとは限らなくて、それは体質とか才能の差だったりするけど、それでめげてやめてもしゃーないなーと思ったりです。ぜんぜん悔しくなんかない(泣きはらした目)