インターネットと人間関係の日記
かわいい猫ちゃんの写真でテーマのトゲトゲしさを中和するよ。
インターネットにおいて人間はなぜ過剰にイライラしがちなのか…ということについて最近いろいろ考えていました。
結論としては、インターネットしすぎると疲れるからほどほどにしたほうがよい、ということです。
みんな知ってた!みたいな話で今更の発見なのですが。
いいねに関する問題
SNSのいいねに感して、見たくないという人が一定数いるのを感じています。私ほどのインターネットと脳が直結している廃人だと気にしたことがなくて「?」みたいな気持ちがあったのですが、一昨日くらいにやっとわかってきた!気がする!
1.自分がいいねを貰えないにも関わらず他の人が貰っていると寂しくなる
2.友達がだれかにいいねをしていると、自分にはしてくれないのに〜って思う(嫌われてるかも?みたいな)
3.友達がいいねしている発言が自分の思想と合わない時にイライラする
の3つが大きいかもしれないな、と。
これは盲点だったな〜と思いました。自分に友達が少なすぎてこういった感情がわからなかった気がします。
ネット廃人としてツイッターランドにも生息していますが、フォロワーの70%はbotな気がするし、残りの27%にはミュートされている可能性が高いインターネットひきこもり的には、いいねが貰えないことなど当然だから…かな…。つら…い…。
他人の幸せを見たくないよ問題
個人的には知っている人が辛そうにしていると心が死ぬので、むしろ幸せな話をしてくれた方が嬉しいです。
幸せ見たくないよ問題にはいくつか人によってイライラポイントがあって
- 自分が手に入れられないものにイラリ
- 自分が責められている気がしてイラリ
- 自分の方が頑張ってると思うのでイラリ
- 無条件でみんな憎い
みたいな感じかもしれないな〜と。
1については自分ができないこと沢山あって、欲しいものが手に入らない時に努力してもどうしようがない事もあるので、他人が自分にないものを持っているのは当たり前だと私自身は考えています。
レアメタルの湧いている資産価値の高い土地と、オリンピック陸上競技で金メダル獲れる肉体と、ノーベル賞を受賞できる頭脳が欲しいですが…。
前々からレアメタルの湧く資産価値の高い土地が欲しいと思っていたんですが、そもそも日本においてそういう私有地って国のものとして渡さなければならなかったりするんだろうか。謎です。
幸せ見るの辛い派はインターネットで幸せな投稿をしている人は、全て偽りか他人を嫌な気持ちにしたいサイコパスであると考えて眺めると楽になる気がします。
そもそもネットでの日常生活の記録って、幸せなシーンを切り取って流しているだけなので実際はつらいこともゼロではないと思う。
料理好きって言うと料理苦手だよ派にイライラされることありますが、私がまったく整理整頓ができず部屋にコートの墓場を作って家族に叱られていることなど知るまいよ!
ミュートしよう
正気を保っている人にとって、フォローを外したりミュートは大事かなと思います。
友人と会った時に自分の話すスキを一切与えられずに愚痴を聞くだけで12時間拘束されたら、内容によっては「もういいだろ!お前の話は!」とキレます。キレずにおられようか。
ネットなら別に全部読んでいる前提ではないから、ほどほどにできるじゃないですか。
まとめ
以前勤めた職場でものすごく情報共有がうまくいかなかった時に、上司が「俺たちにインターネットは早すぎたんだ」という名言を発して記憶に残っています。
その時の仕事は人員不足なことが問題だったと思うので、そこ?!という気持ちを抱いたものの、インターネット戦国時代に終わりが見えないいま、彼の名言が思い出されます。
私くらいのネットと脳が繋がっているような廃人だと、インターネットにこそ真実が…!とか考えてしまいますが、みんなそこまで熱心にネットしてないし、偏ったユーザーが頑張ってるだけだから話半分で聞いて猫の写真を熱心に収集したらいいと思います。
インターネットに溢れる情報が、みんな人が書いているとは限らないですしね。私が人間で、かつ自分でこのブログを書いているという証明も難しいのではないでしょうか。