劣等感で他人を責めるダサさの日記
先日ネットの海をさまよっていたら労働組合の人にインタビューをした記事を見つけて、カルト的な組織の企業について説明している内容で興味深く読みました。
あきらかに間違っていることを経営者が行っても、それを止めることができずに一部の社員はゲシュタポ化して保身に走る的な話。集団心理としてあるあるです。
そういった組織で正気を保った人はついていけなくて即やめると思うので、生存バイアスで偏った姿勢の組織になっていってしまう感じですね。
その中で心に刺さる話があって、ゲシュタポ化する人は劣等感によって他人を攻撃しているという説明でした。うわー思い当たるよー。つらいよー。
劣等感によって他人を責めることで自分を正当化してしまうことがあって、まさに自分がやってしまうことだと思います。
「なんでこんな当たり前のこともできないの?私でもできるよ?」というものの言い方をするは時は、自信がない自分よりもひとが格下であることを見つけて、いじめることに快感を感じているのだと思う。
これって、自分がふだん他人より劣っていると感じがちなために珍しく自分よりも下の人を見つけて浮かれているんですよね。圧倒的なダサさ。
自分にできることは他人にできるとは限らないし、逆もみんなができることを自分ができないこと沢山あります。そういうのを棚にあげて他人を攻撃するのはダサいよなぁと思うのに、やっちゃう所が己の器の小ささです。
仕事だけでコンプレックスを補って自尊心を保つ生き方をしていると、自分がなにかの事情で働けなくなった時に、世の中から自尊心を貶められた気持ちになってキレやすくなる気がします。そういった意味でもバランスよくなりたい。なりたいけどな〜〜!!!!器でかくなりてーなー!