人生日々すれ違い通信 season2

元バツイチが日々思う事を書いたりハンドメイドしたり買い物で散財したりするよ。

サイコパスとKYの日記

幼い頃から気が利かなくて、目の前の人がこういう事言うと喜ぶだろうなーという察することができず35年わりと悩み続けています。

サイコパスと呼ばれる性質を持つ人々は他者への共感の薄さによってむちゃくちゃな事ができるという話を読んで、これは自分みたいな人間のことか?と気になってサイコパスや自己愛に関する本を読みました。

サイコパスと呼ばれる人は他者への共感は低いものの、「目の前の人に対してこう言うと利用できる」と他人をコントロールするのがうまい傾向がある、みたいな話を読むうちに、そんなことできたら私こんなに悩んでないな…という結論に至りました。

他人の気持ちの推察が弱いのは私の長年の悩みで、そのため日々「こういう状況の人はこういう気持ちか…?」などと考えているものの、私の考えるこの人たちの気持ち!にしかならない。

他人の表情を読んで、適切なタイミングで共感し、適切なタイミングで質問し、いい流れを作る事ができるひとってすごい。どんな形で世界を見ているのか知りたいです。

言わないでもわかるでしょ?というスタイルの高度なコミュニケーションは生きている中でわりと困っていて、和を乱すことを避けるためにほとんどの人は他者の誤りや不適切な部分を指摘しません。なので、こいつ場の空気読めてないな〜という時に、コミュニティの性質によってはフンワリ距離を取られるんですよね。

社会性ないのやばいなと自分で思っていましたが、社会人になってから関わった同僚や上司はわりと不適切な部分を指摘してくれたので、ありがたかったです。そこまで面倒見てもメリットないはずなのに、ちゃんと教えてくれたのどんだけいい人たちだ。全部直せなくても、教えてもらえたら少しは気をつける努力はできなくもないので。

社会性がないからといって、身の回りの人を困らせたいわけではないのです…。

面倒見のいい人々に恵まれなかったら、場の空気を乱して人から煙たがられて、理由がよくわからずに世の中の人は自分のことを嫌いだし、自分もみんなのことを嫌い!憎い!みたいな気持ちで生きていくことになったかもしれない。

多様な価値観とフレンズの話

サイコパスと微妙に違う話になるのですが、自己愛に関する本に「現代の人は、他人を批判したいけれど批判はされたくないのでネットで匿名」という分析が書いてあって、それこそサイコパスみたいな人から身を守るために匿名であることが前提だとは思いますが、少しは批判を避ける部分もあるかもなと納得。

他人を批判したがるとは書いたものの、ある程度の知性と常識を持った人ならばトラブルを避けるために極端な主義主張は避けて、かわいいアニマルかおいしいご飯の写真しかネットで投稿しない気がします。わざわざ自分の考えを書く人間は少数派でめんどくさいやつではないかなと。

ただ、そもそもなぜ他人を批判しなければいけないのか?と考えている時に、下記の主張を読んでなかなか興味深かったです。

【ゆとり世代】現代の若者はなぜ孤立を好むのか。価値観とモノがあふれる世界がもたらしたもの | COCORO NEXT

多様な生き方が存在すると、他者の思想に触れた時に自分の生き方を否定されているかもと感じることがあります。毎日働くのなんて愚の骨頂、人にお金を借りて遊んで暮らしたいという姿勢の人に対して、私ならめちゃくちゃムカつきます。別に私に対して言っていないとわかっていても、仕事好きな生き方を否定された気持ちになるのかもしれないなぁと。

多様な生き方を認めたいと思いつつ、ニュートラルに考えることは難しいです。狭い視点でしかものを見ることができない所に、自分の想像力や賢さの限界を感じます。むずかしーわねー!