化粧品メーカーのCMが2016年10月、2017年6月あたりにインターネッツ界の一部で炎上した記憶があって、なんでそんなにしょっちゅう燃え上がるんだよと思った。
いろいろ考えたが、メイクをしんどいと思うよ派が世の中の少なからずいて、いまどき女性だからってだけで強要してくれるなよという話なのかもしれない。そう仮定すると、わからんでもない。
私もメイクは近年は嫌いではないが、昔はやりかたを知らないし、人にあれこれ言われるのでめんどくさかった。
他人のアイラインのひきかたが美しくないことを「ありえない」と批判する人を見て、めんどくさいのでメイクしたくないと思っていた。着物ポリスがめんどくさいので、着物を着たくない心理といえばいいだろうか。あれこれ言われるなら、全裸で歩いて逮捕された方がいいくらいの気持ちだ。
ただファースト離婚後に、やけっぱちになってメイクしてみたら意外と面白かったので、その後も自分の生活に定着した。技術がないのでメイク好きの人が見たら批判のタネかもしれんねと思うが、他人のためにやっているものではないのでご容赦いただきたい。
人にあれこれ言われるので、やりたくない行為
他人にどうこう言われるのがめんどくさくて、取り組むことが嫌になる行為って色々あるような気がしている。料理もそのひとつではないだろうか。
料理の話をすると達人がどこからともなくやってきて、こうしないのはダメと強く言い始めてしまう時があるが、生で豚肉食べるとか健康に害があるケース以外は、ノールールで自由にやらせたれよと最近思う。
料理もメイクも、何回かやってみてそれぞれが自分なりの面白さを見つける行為だと考えている。自分の手に合っているやりかたを、好きにやればいい。
私個人の感覚として、料理もメイクも行為自体に意味はない。「この行為は美徳」という価値観が、取り組む側を苦しめがちな気がしているので、やってみて面白かったら継続すればいいんじゃないくらいの気持ちなのだ。
なぜポリスは生まれるのか
ここまでメイクどうでもいいじゃん話を書いておいてなんだが、他人が醜いことが許せない党も世の中には存在する。
私は他人の顔を覚える能力がないので、良くも悪くも容貌に無関心だ。私とは逆に人の顔をすごく記憶できる人がいて、そういうスキルを持った人にとっては他人のメイクは重要なのだと思う。人の顔がよく目に入るので。
料理に関しては他人がキノコを洗おうが洗うまいが、クックドゥを使おうが使うまいがどっちでもいい。そのため、なぜポリスが発生するのか謎に感じる時がある。
自分の行為が正しいと言いたくなるときが人にはあって、その瞬間にポリスが誕生するのかもしれない。たとえば一汁三菜を30年守ってきた世代が、一汁でいいんじゃない?と世間が言い始めたのを聞いてイラっとすることもあると思う。
一汁三菜派は自分が大切にしていたルールを否定された!と感じて、一汁オンリー派と言い争いになることもあるだろう。大半の人にとってはどうでもいいことだが、どうでもいいって言った時点で激怒だと思うので気をつけろ!地獄の業火に焼き尽くされるぞ!
と、書いていてロマサガ3で「じごくの壁」ってやつらいたな、と唐突に思い出した。難しそうなファンタジー単語は全部ロマサガとメガテンが教えてくれた。
私も気づかぬうちにポリスしている時がきっとあると思うので、他人のモチベーションを割かないように気をつけたい…。言い方次第、という時もたくさんあると思うので。
メイク魂に火をつけろ、というキャッチコピーは、こういう時代を予言していたのだろうか…。