ツイッターランドやfacebookにおいて、ヘイトスピーチという話題がはやっているので、流行りにのってスキキライ…でもスキ、の考え事をつらつら書いた。
インターネットは好き/嫌いを増幅させる
結論から書くと、好きな人の話はどれもステキに感じ、苦手な人の話はどれもイライラして読める。
「カラマーゾフの兄弟おもしろい」というツイートを読んだとして、発言者が自分が好ましく感じている人だったら「あんなラノベの150倍長い本を読むなんて…我慢強くてステキ!抱いて!」と好印象を抱くことがあるのではないだろうか。
同じツイートを嫌いな人が書いていたら「あんな古典を今更読んだ主張?理解もできないで知的気取り乙」とイラッとするのではないだろうか。
発言の内容によっては、読み手は勝手に発言者の心情を推測してネガティブ&ポジティブな感情を増幅させていく。
たとえば私が昨日にわかに盛り上がった、下記のニュースをSNSでシェアした人がいたとする。
シェアした人間を好きなユーザーは
「私がシウマイを好きなことを知っているので、シェアしてくれたのかも…トゥクン」
シェアした人間を嫌いなユーザーは
「私がいま糖質制限ダイエットをしているのに、食べ物をシェアするなんて配慮がないし嫌がらせなのかも」
と、それぞれ勝手に思う可能性もある。
インターネットを通じて繋がりがある、現実ではしょっちゅう顔を見ない関係性が薄い人というのは、読み手が妄想でキャラクターを作ってしまいやすい。
足りない情報を補足する妄想によって、それぞれ他者に対する楽しい気持ちやイヤな気持ちを増幅させやすいのではないかと考えている。
普段会って会話する機会が多い人間のことは「悪意があって言っているわけではない」と妄想せずに判断することができるが、あんまり知らない人のことは想像でキャラクターを補完してしまうのだ。
情報の洪水の中で、私たちが今できること
詳細を説明すると原稿用紙300枚くらいに及ぶので簡単に説明するが、ゲームに登場する美少女の絵をお絵描きする機運が、今現在私の中で高まっている。
ツイッターランドで描いた絵を放流しようかなと思ったのだが、適当に運用しているアカウントで普段はそんなに美少女の話をしていない。突然前衛芸術みたいなデッサンの絵を流されても、常識人が多い(気がしている)フォロワーが困惑するような気がした。
そのため、美少女のイラストを流してもよい孤高のアカウント(フォロワーはなぜかフォローしてくれた優しい1名のみ)でたまに絵を描いたり、いいなと思ったイラストを描く人のフォローを始めた。
趣味を絞りに絞った結果、めんどくせえなと感じる主義主張を読む確率が低くなった。
自分が合わない主義主張を目にする機会が減るために、自分も謎の主義主張をすることが減るような気がしなくもない。
SNSに登録すると、システムから過疎化を防ぐ目的でフィードを購読する人を増やすようにすすめられるが、私のようなめんどくさがりが読むことができるのは、気の合う10人くらいが限界なのかもしれないと感じた。
ただ、そうしていくと自分の嫌な情報は読まなくなるので主義主張が極端に偏っていくのだろう。いいと思った情報だけを読むようにしていたら、それがスタンダードであると盲信する可能性もある。ニンゲン、ムズカシイ。
解釈の違い
ところで、おたく趣味のひとつに二次創作というものがある。
二次創作の趣味を持たない人に説明をすることが難しいのだが、たとえばドラえもんを見て「しずかちゃんは本当はのび太ではなく、ドラえもんを愛している※」と妄想して、イラストやマンガを描くような趣味だ。
原作にそんなシーンあった?と正気を保った人間ならば思うはずだが、想像力が豊かすぎる人間は「ちゃん」という敬称が他と異なって特別感があるとか、そういうわずかな情報をたよりに想像の翼を膨らませすぎて別世界、すなわち妄想の世界へと羽ばたくことができる。
想像力豊かな人間は日本に一定数いるので、インターネッツで探せば似た趣味の仲間を見つけることができる。
だが、しかし。ここで問題が発生する。
しずかちゃんがドラえもんを愛していると仮定した際に
しずかは誰よりも深くドラえもんを愛しているが、タイムパラドクスに配慮して想いを隠しているよ派(ピュア悲恋派閥)
しずかは本当はのび太の気を引きたいがゆえに、ドラえもんを誘惑しているよ派(悪女派閥)
という創作をする人たちがそれぞれいたとする。これはオタク界で俗に言う『解釈の違い』だ。
解釈の違いを持った人々が両者ともに過激派だと、言い争いがはじまることも稀にある。
そもそもキャラクターに対して、読み手が勝手に妄想で設定を作ったのに、妄想vs妄想で戦うという謎状況。世迷い言の極みだ。
ただ、よくよく考えてみると、現代においてネットで他者のキャラクターを妄想し、嫌いになって罵倒したりするのも同じようなものな気がするのであった。
人の想像力の闇は深く、すべては泡沫なのだ。
※BLか百合で例えようかとも思ったが、あまりに読み手の想像の範囲を超えそうなのでやめた。