インターネットに接続して情報を得ることが一般的になった今、ネットつまんなくなったよねというインターネット老人会の嘆きをよく目にします。
インターネットは本当につまらなくなったのでしょうか?
私個人としては、インターネット全体がビジネスモデルの展開に失敗したために、つまらなくなった部分はあると感じています。
インターネットでコンテンツを買う価値観が浸透しなかったために、低コストでPVを稼ぐコピペコンテンツが量産される現状があって、真剣にモノを作っても埋もれるしバカらしいところはあるなと。
どうしたら、自分好みのインターネット界になったのか考えるために、個人サイトがどう進化していったか、という視点で自分がみたインターネットの歴史を思い出してみることにした。眠いしうろ覚えだけど。
SNSとブログと個人サイト
個人サイト
遠い昔、はるかかなたの銀河系のインターネットには個人サイトという概念が存在しました。
プロバイダからwebサーバを間借りしたり、あるいは無料のホームページサービスを利用して人々はそれぞれwebサイトを開設しました。
個人サイトを見つけるためには、驚くべきことにgoogleがまだ存在しない時代もあり、今ほど精度の高くない検索エンジンをインターネットの民は利用していました。
つどつど検索せずに、好きなテーマを扱ったサイトをユーザーに回遊してもらうために、相互リンクであるとか、webリンクとか、同盟といった仕組みが発生しました。
太古から人間どうしには相性の悪さというものが存在し、気に入らない相互リンク先の愚痴を管理人(あるいはユーザー)がひっそり匿名掲示板で書くこともありました。
当時、匿名掲示板はちょっとアンダーグラウンドな扱いなので、わざわざ見に行かない限りその愚痴を目にすることはありません。
ブログ、魔法のiらんど
個人サイトはhtmlタグをほんのすこし理解して、FTPを使うことができる人間が作ることができるものですが、ちょっと敷居が高いところがありました。
そこで魔法のiらんどやブログといった、テキストを投稿するシステムを利用するだけで、CMS(プログラム)が勝手にhtmlページを書き出してくれるサービスが誕生しました。
このあたりでランキングのシステムが流行して、それぞれのサービスの中で注目されているサイトをトップページからユーザーが見に行けるようになったことで、ジワジワ相互リンクの意義が薄れていったように感じました。
ちなみに、匿名掲示板の文化を一般の目にふれるきっかけを作った小説が2004年に発行。2005年ごろからブログの仕組みを利用した、匿名掲示板のまとめが大流行しはじめたような記憶があります。
SNS爆誕
mixiが2004年にサービス開始、2006年にtwitterとニコニコ動画サービス開始、2007年にpixivの原型が爆誕。
ここから、個人の情報発信の敷居と承認の仕組みが変わっていったように感じています。
情報を発信するときに、人にぶらさがるスタイルになったことが最大の変化なのかなと。サイトとサイトのつながりではなく、人との繋がりとして定義されました。
相互リンク復活的に、人と繋がってその人の作品をマイページでチェックしたり、「見たよ」ということをコメントを残さずとも認識できる仕組みが一般に浸透していきます。「いいね」であるとか「足跡」です。
個人サイトにおいては、よほどの人気サイトでもなければ人に見られないことは当たり前でした。
他者とのつながりを前提としたサービスにおいては、感覚的に他者に見られないことの方が例外、異常のようになっていったのかもしれません。
「ハッシュタグ」と「タグ」の概念によって、関心のある情報を探すセオリーが決まってきたことも、このへんが転機なのかなぁ。
スマートフォン登場と日本ネット界のユーザー融合
また、2007年に初代iPhoneが発売。これまでパソコンを持っていないと見ることが難しかったサイトが、スマートフォンによって手軽に閲覧することができるようになりました。
パソコンは環境の選択、管理、回線の契約などコンピュータに明るくない個人での導入は敷居が高い状態でした。ガラケーインターネット界はキャリアが考えた課金の仕組み上、パソコンとは見ることのできる情報範囲が異なる状態を作っていました。
ガラケーでもweb検索を行うことはできましたが、通信量や画面サイズなど制約が多いために、そこまで頑張ってガラケーだけでネットする人間は多くなかったのかもしれません。
ですが、スマートフォンなら、キャリアと契約すればパソコンと同じレベルの情報を手に入れることができます。スマートフォンをきっかけに、ガラケーのネットコミュニティと、パソコンのネットコミュニティが融合していったのかなと考えています。
なぜインターネットはつまらなくなったと感じるのか?
ここからはインターネット老人会所属、しろうとの個人的な感想になっていきますが、ビジネスモデルの変化によるところが大きいのかなと感じています。
フィード(タイムライン)のしくみ
SNSはアクティブユーザーを維持するために、フォロー人数が少ないユーザーでも常にフィードが活性化しているかのように見せなければいけません。基本的にSNSは飽きていきますが、常に盛り上がっているように見せれば引き止めることができなくもないです。
そこで、友達が他人に対して行ったアクション、関係性の薄い人であっても「話題になっている」アクションもフィードに表示するアルゴリズムをSNSは取り入れました。
そういった仕組みの変化によって、友達のちょっとした近況が知りたいだけなのに、友達が議論していたり、議論に同調しているさまを見て不快になるというのが現状起きていることなのかなと考えています。
現在は以前にくらべて、政治的な主張がインターネットで一般的になりましたが、なぜか。
かつてはそれぞれ決まったテーマを持ったwebサイトで討論していた話を、ひとつの場所で展開するようになったことで目にしやすくなった状態なのではないかと考えています。
ただ、これはフィードという仕組みが悪なわけではないです。好きなwebサイトやユーザーをつどつど自力で見て回ると時間がいくらあっても足りないですし、自分好みのニュース編成を作ることを各自が目指しているだけ、なはず。
さほど好きでもない思想を見るのは誰でも苦痛なので、フォローしつつもフォロワーを全員をミュートするという作戦を取れば、みんな穏やかな気持ちになれるかもしれません。
クソ情報の氾濫
インターネットで他者の専門知識を活かしたアウトプット(ゲームやアニメ、医療情報)を買う文化はあまり根付かなかったことで、ビジネスモデルとして無料クソ情報でPVを集めて、アフィリエイトで稼ぐ方向に技術が伸びてしまったことが、もっとも絶望的だなと個人的に思っています。
買ってもらえるかわからないコンテンツを作ることに労力を割くよりも、少ないコストで作ったコンテンツの検索順位をテクニックでコントロールしたり、露出するようにバズらせれば勝ちという北斗の拳みたいな世界にインターネットはなっています。
すごく難しいことだけれど、価値のあるコンテンツやサービスがお金を稼げる世界であってほしい…。
クリエイターのふるまい
個人の広報がスタンダードになったことで、マーケティングとブランディングに長けたクリエイターが強くなったと感じています。
作品や媒体に知名度がなくても、クリエイターが広報することで周知してもらえる。クリエイターのフォロワー数も、価値のひとつとして評価されて値段がつく時代なのではないかな、と。
ただ、昔からモノを作るうまさとは別に、クライアントへの営業上手スキルや、謎のつながりを飲み会で作るのうまいスキルなどがクリエイターに存在していた気がしなくもないので、いろんなベクトルの能力が評価される世の中になっただけなのかもしれません。
これはつまらなくなった要因ではなく、そうなった、という結果だけですが、インターネットでの広報が不得意な人は苦々しい思いをしていると思う。
ニコニコ動画とyoutubeの話
日本インターネット界において転機をつくったサービスだと思うけれど、映像作品をみる能力がないのであんまり知らない。ごめんねごめんね。
特に答えはないが、唐突に終わる
眠くなってきたので振り返りを終えますが、インターネットがつまらなくなった理由のひとつに、技術者でない人々がインターネットに参入してビジネスのためのスキームを作り、それがもともとインターネットを楽しんでいた人たちと思想が合わないというのはあると思っています。
ただ、技術者ががんばったとしても、インターネットを通してお金をユーザーに支払わせるには、ギャンブルが一番効率がいい!みたいな形に落ち着いてしまった気もしています。
サービスやコンテンツが優れていても、無料でなければ使わない!という価値観がスタンダードでは、サービスやコンテンツを維持できないので。
使い手が何に価値を感じてお金を払うのか、という価値観の話な気もしますが、経済的に裕福な時代だったらまた違った進化を遂げたんでしょうか…。スヤァ。