人生日々すれ違い通信 season2

元バツイチが日々思う事を書いたりハンドメイドしたり買い物で散財したりするよ。

料理と入院と自立心の日記

退院後1日目(術後8日目)から家で料理を再開した。

カオソイ

足は痛いしコンディションも良くはないので、思うように動けなかった。それでも好きな料理に取り組めたのは「やってやったぜ!」みたいな達成感があってよかった。(家族は料理ができるので、強要されているわけではない)

主治医のリハビリ指示書に術後10日目から職場や学校への復帰が一般的、とあったので早くから自宅での作業も再開したが、体が思うように動かないと気が滅入るところはあるので、仕事という役割があるのは気晴らしとしても私はありがたいなと感じた。

入院中につくづく感じたが、今まで自分で動いていた人が、自立して動けなくなると思考力が鈍ってくるところが確かにあるなと。

生活のメンテナンスをしていると、次はなにをするかささいな決断を繰り返している。入院してベッドで横になってすべての面倒を見てもらっていると、自分で考える部分が少なくなってボンヤリしやすいなと感じた。

エッグロティ

入院患者をみていたら高齢の患者でも、病状が落ち着き次第なるべく自分で身の回りのことをできるように、病院スタッフがフォローするようにしていた。

見守ってフォローするより100%やってあげたほうが介助する側は手間が少ないのではないかな?と思うが、いたれりつくせりで手を貸すことで、自立へのモチベーションが低まってベッドから起き上がるのが遅くなるケースをみた。痛みの我慢強さや症状の差もあるので難しいところだが、できる範囲で自分でやらせるというのは、その人がその人であるために効果的なリハビリなのかもしれない。

パスタの量を見誤ったイタリアっぽい定食

また、病院では患者が今まで生活で持っていた役割(キャラクター)は意味をなくして、看護する人にとってはただ具合の悪い人だ。他者が認識する自分のキャラクターってあんがい自我を保つために大事なんだな、と思った。シャキシャキしたお母さんと他者から認識されていると、良くも悪くもふるまいとして自然とそうなっていくというか。

そう考えると、出産前に持っていた社会的役割をすべて休みにしてお母さん業に染まることを迫られる女性はしんどいだろうな、とあらためて思った。ネット経由のクラウドソーシングでママ向け仕事は労働基準法など存在しない価格設定になっているが、それでも請ける人がいるのはお金ではない役割を求めてだと思う。ここは正直弱みに付け込んでいる感じがしてイラリとする。

料理や旅行は大好きなので、動ける限りは自分のことができるように、できる範囲でリハビリ頑張ろうと思った。縫い物も再開したい!