人生日々すれ違い通信 season2

元バツイチが日々思う事を書いたりハンドメイドしたり買い物で散財したりするよ。

パラリンピックをみて特定の属性の伝え方を考える日記

情報番組でパラリンピック特集をみて、特別な能力を持った障がい者を報道することで多様性の意識を高める手法ってどうなんだろう?と考えている。

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近年よく聞く発達障がいについて「特別な能力を持った発達障がい者だけがメディアに露出していて、発達障がいが誤解されている」という当事者の声を耳にすることがある。

そもそも、ある特定のカテゴリに所属する人の中でも、楽天家かそうでないか、社会性が高い低い、仕事のスキルがあるない、がまばらになるものではないだろうか。

女性を例にたとえると「正社員でバリバリ働きつつ家事も手を抜かずに子育てを楽しみ&めっちゃオシャレなお母さん」にみんななれるかというと、環境もあるし、本人の気質や能力の問題もある。

「お母さんの理想の姿はみんなこうだよね!」みたいに取り上げられるのは、心外な人もいるのではないだろうか。そんな強くなれねえよ、そう感じる女性もいる。

パラリンピックの開催によってユニバーサルデザインへの意識が高まるのは重要なことだと思うが、強い障がい者をピックアップすることによる、そんなに強くない障がい者のついていけなさもあるのではないかな?と考えさせられた。

吉田沙保里選手をみた男性が「女性はみんなあのくらい強いものだ」と認識しないのは、そうでない女性をたくさん見ているからだ。

障がい者(自分と異なる属性の人)が身の回りにいないとき「このカテゴリの人はこういう感じなのだ」とメディアをみて認識してしまう罠がある気がする。

ある情報を伝える時に誰もが納得する形にするのは不可能だが、どういう風に障がいを伝えるとベターなのかなーと考えさせられる。

経験がない問題について考える

すこしベクトルの違う話だが、ちょっと前に保育士は誰にでもできるという発言をした人がいた。それに対して「育児と介護の経験がない人の戯言なので無視」というコメントがあったが、その切り捨てかたは「経験がないことは考えても無駄」と認識されかねない気がした。

ある問題に対して「当事者以外にはわからない」で終わらせてしまうと、当事者以外が問題解決に乗り出さなくなってしまう。

他人の心をよむことはできないから「当事者以外にはわからない」はその通りなのだが、「どういう問題があるのであろうか」と個々が考え、話し合って改善していける社会でありたい。