膝のリハビリや筋トレしていると痛感するのが、勘所のない分野は自分の課題が見つけづらい。自分ができていると思っていたことができていなかったり、その逆もあり。
「自分の課題を見つけづらい」は体を動かすことに限らない。大人になると「もうできてるでしょ」前提になってきて、なかなか人に注意されなくなってくる。
誰にも注意されないとできている気になってくるが、実際はできていないけど周囲が注意しづらい状態になっている…という可能性もある。
まったく逆に、本当はできているけど人から注意されすぎて、できていないと思い込んでいるケースもある。なかなか自分の能力をレビューするのって難しい。
算数苦手な話
私は算数がマジで苦手で、周囲の人と比べて自分ってきっとバカだからできないんだろうなぁと思っていた。
が、近年になって算数の何が苦手か、もうちょっと整理してもいい気がしてきている。
ルールに疑問を持っちゃうよ問題
まず、幼少時は時計の読み方に挫折していた。 普通の数字は10で繰り上がるのに、時計は60秒、60分、24時間(しかも12時までが2バージョンある)って意味わかんなすぎねえ?と混乱していた。
意味とかどうでもいいからとにかく覚えろシリーズだったと思うのだが、ルールが理解できないと使えない融通のきかなさのゆえ困っていた気がする。
計算の経過忘れちゃうよ問題
iPadはなぜかプリインストールアプリに計算機がなくて、計算機+という個人制作のアプリを使用している。
このアプリを使用していて気がついたのが、計算の履歴が見られると考えるの楽だなと。
短期記憶が弱いために直前まで考えていることを忘れてしまって、今なぜこの値を使っているか忘れてしまうので計算で混乱している気がしてきた。そうなると、計算の経過をこまめにメモっておくという習慣をつけられていなかったことが弱点のひとつではないだろうか…。
算数の苦手さからみえること
算数できない問題については、あまりのできなさに恥ずかしくて苦手意識がMaxだった。辛いので考えることすら避けていたのだが、ただひたすらに「できない」と思って課題を分解できていなかったなぁと思う。
おそらく、まじめに取り組めば課題をもっと分解してこまかく改善していけるのではないだろうか。やりたくないけど!
人からレビューされること
自分のキッズ時代の算数できない問題については、多くの先生がさじを投げていたし同級生からバカ扱いされていた(なぜなら100点満点のテストで8点とか取っていたため)
小学3年のときの担任の先生だけは「やればできるでしょ」と言っていて根気強くつきあってくれていたが、みんなバカでできないって言うし、やっても辛いなぁと思っていた。
が、今になって思うと他人の評価を信じて諦めたのはもったいなかった気もする。できないなりにも、取り組んで楽しめればよかった。
他人の評価を聞いたうえで、自分のできないことをもっと分析しなければいけなかったんだろうな〜とリハビリに取り組んでいて思う。
理学療法士やスポーツトレーナーはプロとして体の使い方の課題を指摘してくれるが、それが自分にとって妥当かとか、その課題に対して日々の中でどう挑むかは自分で飲み込んで考える必要がある。
大人になると色んなことを「できている」と慢心してしまうけど、体の使い方に限らずさまざま自分の課題を検証せんとなぁと思ったりだった。大人になると人に課題点を指摘してもらえるとは限らないし、一生PDCAですなー。
この人の筋トレの動画、注意点めっちゃわかりやすくてよい。